金城昌太郎の生涯をかけて貫いた紅型への想い。
昭和14年
金城昌太郎
沖縄県に生まれる。
昭和28年
15歳
紅型師を志す。
中学3年生の時、中学校の担任教師は「この戦争で沖縄の紅型や織物、陶器、漆器の伝統工芸がすべて焼き尽くされた。しかし、その悲惨だけを嘆くのではなく、生き残ったもので力を合わせ、一つ一つ復興させたい。郷土のため一生の仕事として伝統工芸に尽くす気のある者はいないか?」と語った。
教師は続けた。「伝統工芸は、地味な仕事かもしれない。その上、工芸で一人前になるには10年以上はかかる。苦労も多い。だが、沖縄の将来に必ず必要となる大事な仕事だ。誰か伝統工芸に尽くす気のある者はいないか?」と問われ、昌太郎は、紅型師になる決意をした。
昭和29年
16歳
名渡山工芸館で名渡山愛順先生に師事する。
昌太郎は、琉球王府の博物館で直に古紅型の生地にふれ、色彩、模様の説明を先生より学ぶ。トレーシングを行い、古紅型を写し、古典柄を彫る作業に没頭した。それらの作業を通し、古きものに込められた先人達の工夫や知恵、感覚を身をもって知る。
また、工芸は、無から生まれるものでなく、先人の歩みの中から学び創る事を学ぶ。名渡山愛順先生より、最も強く学んだのは、紅型の大事は、制作の流れよりむしろ【画家としての感性】であることだった。
昭和30年
16歳
城間びんがた工房で城間栄喜先生に師事する。
名渡山工房で経験した型彫りを中心に仕事を行う。型彫りの技術を評価され城間栄喜先生が描いた図案を昌太郎が彫ることもあった。栄喜先生より【伝統の紅型師としての生き方そのもの】を学ぶ。
昭和40年
26歳
紅型づくりに10年以上の経験を経て自身の作品と向き合う。
あるときは、沖縄県立首里高等高校染織デザイン科助手末吉安久先生より既存の伝統を継承することにこだわらない【自由な発想の型絵染め】を学ぶ。また、稲垣稔次郎先生の書より「他の作品の模倣でなく、自然に触れ自らスケッチする。そこから創造をあみ出す」という、「創作する大切さ」を学ぶ。
昌太郎自身の作品に伝統を継承しつつ、独自の哲学と意志が芽生えていった。
昭和41年
27歳
紅型師として那覇市首里( 現住所 )に「金城昌太郎びんがた工房」として独立。
昭和55年
41歳
新匠工芸会新匠賞受賞。
昭和63年から平成10年(49歳〜60歳)
沖縄県立芸術大学にて紅型の講義の非常勤講師を務める。
平成元年10月
50歳
新匠工芸会稲垣賞受賞。
平成9年4月8日
59歳
沖縄県より県指定無形文化財技能保持者として認定。
平成28年12月1日
77歳
沖縄県那覇市久茂地にある青砂工芸館にて個展を開催。
平成29年2月19日
77歳
第51回沖縄タイムス芸術選賞大賞受賞。
〜現在
その後も那覇市首里の工房で創作活動を行い、後輩の指導なども積極的に取り組んでいる。