こんにちは。
金城昌太郎びんがた工房の金城(息子)です。
本日は
タイトルにある通り
父が、琉球紅型職人を目指した「きっかけ」について、お話いたします。
琉球紅型職人である父は
沖縄戦で、父と2人の姉を失い
母と2人で貧しい生活を送っておりました。
高校に進学するお金はなく
中学3年の時に担任の先生から言われた
沖縄には世界に誇れる工芸がある。
しかし、今回の戦争で
すべて焼き尽くされてしまった。
生き残った者で
力を合わせて復興させようと思う。
郷土の工芸のために
一生の仕事として、尽くす気のある者はいないか。
地味な仕事で、
これから復興させるのだから
一人前になるには10年以上はかかる。
だが、将来性のある仕事だ。
この言葉がきっかけで
琉球紅型職人になる事を決意しました。
父が修行した工房の詳細は、
HPの略歴にて紹介しておりますので
ぜひ、合わせてお読みくださいませ。
琉球紅型職人:金城昌太郎の略歴はこちらから
https://kinjo-shoutarou.com/aword/
>クリックして、詳細をみる。
本日も最後までお読み頂きまして
ありがとうございます。